第3期/2008.12

『佛說大安般守意經』における「本文」と「註」の解明
To Distinguish Text from Annotations in “Foshou Da Anban Shouyi Jing T602″
釋果暉

  『佛説大安般守意經』に関連する研究は、最初期の中国仏教あるいは格義仏教を解明するため、重要な手がかりの一つだと思われる。『佛説大安般守意經』の研究に画期的な展開をもたらしたのは、大阪河内長野市にある金剛寺で発見された所蔵本『安般守意経』である。勿論、同寺でともに発見された安世高訳の『十二門経』、『仏説解十二門経』も『佛説大安般守意經』への解明に大変役に立つのである。また、謝敷の『安般序』と道安の『安般注序』には、『佛説大安般守意經』(あるいは『小安般経』)と深い関係のある『修行道地経』も言及されている。さらに、「大小安般経」は竺法護訳『修行道地経』の「數息品」に相当する禅観を説いた重要な文献だと荒牧典俊氏も示唆していた。したがって『佛説大安般守意經』を研究するためには、『修行道地経』を重視しなければならない。
  『佛説大安般守意經』の全文からみると、経文と註には大変混沌たる構文が交じり合い、如何に「本文」と「註」を見分けるかは、至難な課題である。両経の間にはどんな関わりを持っているか、と筆者自身が両経の内容を一文字一文字対比しながら、見分けようと努めてきたのみならず、より厳密に精査しなければならないとも痛感している。そこで、『新出安般経』と類似する『佛説大安般守意經』の箇所を「本文」、「本文」に対する解釈を「註」と設定する。さらに『佛説大安般守意經』『新出安般経』『修行道地経』の内容について論究し、この仮説を入念に検証することにする。
  検証した結果、『佛説大安般守意經』の本文と見なされた大部分は、『新出安般経』にも出てきたことがわかった。ところが、両経における該当する文には、同意味の部分、あるいは交互に対応する箇所が明らかにされるとしても、使われた用語が異なっているのも否めない実情である。陳慧の手によって書かれた「注義」などが現れる前に『佛説大安般守意經』は既に存在しているし、その原型は安世高が『新出安般経』から抜き出した抜粋を敷衍した中間的であり、且つ「口解」のような文も含まれた『安般経』であったことも確認できる。