「如是我聞」か「如是我聞一時」か──六朝隋唐の「如是我聞」解釋史への新視角──
“Thus Have I Heard” or “Thus Have I Heard at One Time”?: New Perspectives on the Exegetical History of “Thus Have I Heard” in the Six Dynasties, Sui and Tang Periods
船山徹

  經典冒頭の定型句「如是我聞一時佛在」云々は,中國佛教史においては伝統的に「如是我聞」の四字を一句とし,「一時」は「佛在」以下に繫がると理解されてきた。一方,近年のインド佛教研究においては「一時」は前句と後句の兩方と連關し,全體として「ある時,私はこう聞いた。(その時)世尊は......に住していた」という意味に理解する傾向が強まっている。かかるインド佛教をめぐる近年の議論では,インドと類似の説は中國には皆無であったことが暗黙の前提とされている。しかし今回の考察により,六朝時代には「如是我聞」を一句とする理解も確かに存在していたが,極めて興味深いことに,同時に「如是我聞一時」の六字を一句とする解釋も相當の影響力を有する形で普及していたことが明らかになった。前者の例は僧祐や鳩摩羅什の自説であり,後者の例は鳩摩羅什譯『大智度論』や梁代成立の『大般涅槃經集解』に見える南朝涅槃學の説であった。就中,五世紀前半から六世紀前半頃の建康では「如是我聞一時」を一句とする解釋が廣く普及していた蓋然性が大きい。
  「一時」を「我聞」と繫げる解釋の場合,「一時」とは「聽經時」であると注釋される。他方,「一時」を「佛在」と繫げる解釋においては「一時」は「説經時」と注釋される。そして「一時」がその前後の兩方に繫がることを示す説明方法としては,「一時」とは「説聽時」である──すなわち佛の説經時であり,同時にかつ佛弟子(阿難等)の聽經時である──と説明された。この解釋法は唐代の重要な幾つかの注釋に明記されている。このような「一時」を「説聽時」と説明し,前後の句に係るとする解釋法は,インドの8世紀の注釋書に見られる説と内容において基本的共通性を有する。