親鸞は法然から伝承された「浄土真宗」を「他力真宗」「本願他力真宗」とも表現して,その仏道は『仏説無量寿経』に説示される法蔵菩薩(阿弥陀仏)の本願力回向によって成立するものと捉えている。鈴木大拙はこれを「他力宗」と評するのであるが,ともすればその仏道の主体は「他力」という語感から,阿弥陀仏の側にあるように受け取られることが多い。しかしながら,親鸞の開顕した浄土真宗の仏道構造は阿弥陀仏の救済(他力)を強調しつつも,真の主体はその本願力回向を受ける衆生の側にあることが窺えるのである。親鸞は「忘己利他」を理想の大乗仏道と見据える天台宗の自力的仏道から法然の専修念仏の他力救済道へと自らの救いを見いだしていくのであるが,言い換えると,その救いとは他力の念仏道がそのまま大乗仏道を歩む道程と同義であることを意味するものと言える。浄土真宗を阿弥陀仏による「救済教」であると強調するあまりに,キリスト教的救済論との類似性が指摘されたりするが,親鸞は浄土真宗を,本願力回向に出遇った凡夫・衆生自らが主体的・自覚的に大乗仏道を歩む「仏教」であると捉えているのである。
親鸞將傳承自法然的「淨土真宗」,以「他力真宗」、「本願他力真宗」來表現,其佛道是在《佛說無量壽經》所說法藏菩薩(阿彌陀佛)的本願力迴向上成立。鈴木大拙將之評為「他力宗」,「他力」一詞,使得此一佛道的主體大多被理解為阿彌陀佛。然而,親鸞所開顯的淨土真宗佛道結構,雖強調阿彌陀佛的他力救濟,卻可窺見實際上的主體是領受本願力迴向的眾生。親鸞雖從以「忘己利他」作為理想大乘佛道的天台宗自力佛道中,轉向法然專修念佛的他力救濟道,且依此發現自我的救濟之道,但換個角度來說,此救濟其實意味著他力念佛道與原本遵循大乘佛道的徑路是相同意義的。淨土真宗作為依靠阿彌陀佛的「救濟教」,經常被指出與基督教救贖論之間的相似性,但親鸞認為淨土真宗是和本願力迴向相遇的凡夫、眾生自發的、自覺的遵循大乘佛道的「佛教」。
關鍵詞
親鸞、淨土真宗、大乘佛道、他力、凡夫